歴史を反省できる、それこそが国の誇りだ

国家の尊厳とは何か。国民が真に愛せる国とは、どういう国だろう。

過去の罪を糊塗し、あやまちを国民の目から隠し、なかったことにしてしまう。そんな卑怯な国ではあるまい。

南京虐殺従軍慰安婦関東大震災後の朝鮮人虐殺なども日本史から抹殺しようと企み、それらがなかったことにして知らん顔を決め込む政治リーダーがいる。そうしたリーダーたちにいつの間にか教育のイニシアチブを握られ、洗脳されていく国民がいる。

自国民は都合よくだましおおせたとしても、不利益を被った他国、そして世界はけっしてだませない。そうやって、国家は国際的な信認を失っていくのだ。

 

ドイツは国際裁判を受けただけでなく、国内でも第二次大戦の罪をみずから償い、いまに至るまで反省の念を国民に植え付け続けている。シュタインマイヤー現大統領は「不名誉なのは責任を認めることではなく、否定することだ」2020.5.8と語り、ワイツゼッカー元大統領も「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」1985.5.8と発言している。人びとはいまだにアウシュビッツを謝罪し、ネオナチを排除し、国際社会との協調を旨としているのだ。

いっぽう日本は戦勝国主導の東京裁判を受け入れただけ。みずから総括することもなく、国家として原因や責任を追及することもなかった。あまつさえ、冒頭のような過去の罪を「なかったこと」してしまう。そんな国が、正しいと言えるのか。海外から尊敬を得られるのか。

 

韓国の尹大統領が、「頭さえ下げてくれれば徴用工問題を水に流す」と言ってくれている。もちろん過去の二国間の取り決めで金銭的にはそれなりの決着を見ているわけだが、韓国民の心には、きちんと謝罪する姿勢を見せない日本や、日本人の誠意に対する不信こそが深く根付いてしまっているのだ。尹氏の解決策も、まさにそれだけをクリアしたいというものだ(金銭的な補償は日本企業にとって痛くもかゆくもない程度だ)。

 

過ちをあらたむるに憚ることなかれ。歴史をきちんと振り返り、間違いは正々堂々と認め、謝るべきところはきちんと謝る。それこそが武士道、それこそが日本の誇りであり、日本人が国を愛するということではないのか。相手が「もういい」と言うまで、いやかりにそう言ったとしても、歴代の日本の指導者が謝り続けるくらいでちょうどいい。そう私は思う。