高齢者の力を活かした地域教育を

少子化の問題は、国家存続の危機と言ってもいいだろう。格差是正や男女の機会・待遇均等、保育・児童医療など、さまざまな課題をしらみつぶしにしていかなければなるまい。

その論点のひとつとして、また国家成長戦略(かならずしも成長が必要とも思わないが)としても、児童を中心とした教育体制の不全をなんとかする必要がある。きょうほこの点を考えてみたい。

 

まず教員不足が深刻である。ただでさえ多感で繊細な子どもたちの相手をする難しい仕事である。それに朝から夜中まで忙殺され、親たちの執拗なクレームにさらされ、また経験したことすらない部活動の顧問までやらされて休日勤務に駆り出される。しかも残業8時間までしかつかないというブラック就業。まずここから何とか改善しなければ、子どもたちは学校に行きたがらないし、親たちは子どもを産むことすらためらうし、日本の未来はまったくの暗闇である。

 

すぐれた教育こそが質の高い労働者を生み、その恩恵を受けるべく労働人口が増える。結果として、優秀な指導者も育ち、国家としての国際的な信用も高まる。現在国力を高めている国々を見ても、過去の盛衰を見ても、教育こそが国家の基礎となっていることは、与野党の議論もかまびすしいが、厳然たる事実だろうと思う。

 

私が最初に提案したいのは、教員の給与を格段に高くすることだ。たとえば市立の小学校の先生は仮に最低でも市長並み、都立大学の先生は都知事並みにする。高給を保証することで、優秀な人材を確保する。

 

もちろんそれでもいまの勤務状態では志望者も集まらない。そこで、教員の補助職を新たに設ける。まず候補として考えられるのは、リタイアした高齢者だ。少子高齢化が進む日本では高齢者が余っている。しかも元気なのに時間の使い道に困っている人たちも多い(かくいう私もその一人だが)。

そして彼らはいろんな経験を積んできている。ある人は、指導に悩む教師の相談役になってくれるだろう。事務の得意な人には、点数付けや出欠の確認などを任せてもいい。また昨今トラブル続出の部活動・クラブ活動には、それぞれの地域に元野球部、元美術部など、プロでなくても子どもたちの指導くらいなら十分任せられる人たちがごまんといる。

特技がない人には、教師の補助役として教室にいてもらうだけで、いじめや教師の問題行動の歯止めとなってもらうことも期待できる。また学校をめぐる犯罪が多発するなか、校庭の一角に近隣の高齢者たちのたまり場を設ければ、不審者の侵入なども防げるかもしれない。

 

そんなに簡単なことではないし、ここに記したことに多々問題があるだろうこともわかっているが、国家百年の計として議論を始めても、早すぎることはまったくあるまい。